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【黄金のミドル】石の拳(Hands of Stone)ロベルト・デュラン⑦(Roberto Duran)
マーベラス・マービン・ハグラー戦!
統一ミドル級タイトルマッチ 1983.11.10

ロベルト・デュラン①

ロベルト・デュラン➁レナード戦Ⅰ

ロベルト・デュラン③レナード戦Ⅱ

④ウイルフレド・ベニテス戦

⑤ホセ・ピピノ・クエバス戦

黄金のミドル(中量級)とは?

1980年代のプロボクシングは、ウエルター級からミドル級の中量級のクラスに華のあるスーパースターが勢ぞろい、
その中心選手たちが1980年代を通し、リーグ戦のように対戦し、それぞれがビッグファイトとして世界中から大注目され大いに盛り上がった時代となっていました。
1970年代の人気の中心は、モハメド・アリのいたヘビー級、
そのアリが70年代後半に王座を陥落した以降、アリの王座を継いだラリー・ホームズに人気が無かったこともあり、時代は一気に「黄金のミドル(中量級)」に移行していきました。

その「黄金のミドル」時代を支えたビッグ4と称されるスーパースターが、
■ロベルト・デュラン
■トーマス・ハーンズ
■シュガー・レイ・レナード
■マービン・ハグラー
の4人です。
この4者4様、素晴らしい特徴を持つ4人が合いまみれ、80年代のプロボクシング界を席巻していきました。

ロベルト・デュラン(Roberto Duran)は1951年6月生まれ、パナマ出身。
1968年に16歳でプロデビュー、1972年WBA世界ライト級タイトルを獲得して以来1978年1月まで12回防衛(11KO)、次々と相手をKOする野性的なパンチは「石の拳(Hands of Stone)」と称され、ライト級では怪物的な強さを発揮、
12回めの防衛戦でWBCタイトルを統一、ライト級最強のまま王座を返上しウエルター級に転向、
黄金のミドルの覇権争いに参入し、ビッグファイトを多数展開、
ライト・ウエルター・ジュニアミドル・ミドルの4階級を制覇、通算戦績119戦103勝(70KO)16敗。

3階級制覇!!

ロベルト・デュランは、1972年6月にWBAライト級タイトルを獲得し78年1月まで長期にわたって王座に君臨、今でも歴代ライト級の最強と言われます、
体重苦のためウェルター級に転向し、1980年6月にレナードの持つWBCウェルター級タイトルに挑戦し、判定で勝利し2階級制覇、
しかしこのレナードとのリターンマッチの途中に自ら試合放棄し王座陥落、
そこからが苦しかった、ベニテスのJ・ミドルへの挑戦で敗戦、再起戦で無名選手に判定負け、その後もふがいない試合が続き周囲からは「引退」が噂されるように・・・。
1983.1.29、ジュニアミドル(スーパーウェルター)級チャンピオンのデビー・ムーアへの挑戦権をかけた試合で元WBAウェルター級王者、ホセ・ピピノ・クエバスと対戦し勝利、
「生き残った!」デュランは、デビー・ムーアを8RTKOで倒して3階級制覇を達成!

⑥3階級制覇!デビー・ムーア戦

統一世界ミドル級タイトルマッチ!1983.11.10!

デュランには、3階級制覇した直後に次のビッグファイトが決まっていました。
WBA・WBC・IBF世界ミドル級統一チャンピオンのマーベラス・マービン・ハグラーへの挑戦。

3階級制覇の石の拳vsこの時点でミドル級を7回すべてKOで防衛中のチャンピオン、
スーパースター同士の戦いは戦前からKO必至の打撃戦を期待され世界中からも注目の一戦!
デュランが勝てば史上初の4階級制覇!
※この時点ではアレクシシス・アルゲリョがアーロン・プライヤーに2回敗れて達成ならず。

ライト級最強とされるデュランも元々はフェザー級でデビュー、ミドル級まで体重を増やしてきたが対格差では大きく下回っている、
チャンピオンのハグラ-には強豪ひしめくミドル級王座を7連続KOしてきている自信と風格が漂う。
試合は、ラスベガス・シーザースパレス特設会場、ファイトマネーは、ハグラー100万ドル、デュランが80万ドル、
試合は、15,000人超の大観衆の下、11/10の夜8:05にゴング!!

32歳のデュランに対し、ハグラーは29歳、若さも体格も優位のチャンピオンに対しデュランは、百戦錬磨のテクニックと往年の石の拳を武器に堂々と互角に戦い続けます。
ハグラ-はデュランに対して警戒しながらの戦い、
6R、ハグラーのパンチでデュランがバランスをくずすシーンもあったが攻撃は続かず、デュランも反撃、
9・10Rハグラ-優勢だがデュランのカウンターと強打を警戒してかフィニッシュまで持ち込めず、
反対に、デュランは12Rに接近戦で反撃、右アッパーでダメージを与え、ハグラーの左目の下は腫れ、ゴング前にも右ストレートをヒット!続く13Rにも右ストレートのカウンターでハグラーをぐらつかせる!
形勢を互角に戻したかと思われたが、最終の14・15Rはハグラーの猛攻でデュランの手数は激減してしまった。
どちらが勝ってもKO決着の予想に反し、試合は一度のダウンシーンも無く判定に。

判定は、「144-142」「146-145」「144-143」と3-0ではあるが、僅差の結果、
敗れはしたが、チャンピオンを苦しめたデュランには賞賛の声、
ハグラ-は、タイトル獲得後はじめてのフルラウンドの戦い、試合後には「私と闘ったのは3階級を制覇した伝説の男であった」・・・とデュランを称えた。

デュランは、試合後にリターンマッチを望んだが実現はしませんでした。

デュランのこの後は?

ハグラー戦で死闘を演じ敗れたデュランは、
翌年6月、ジュニアミドル(スーパーウェルター)級でトーマス・ハーンズと戦います。

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