BOXING

【黄金のミドル】石の拳(Hands of Stone)ロベルト・デュラン⑧(Roberto Duran)
トーマス・ハーンズ戦!1983.06.16
WBCジュニアミドル級タイトルマッチ

ロベルト・デュラン①

ロベルト・デュラン➁レナード戦Ⅰ

ロベルト・デュラン③レナード戦Ⅱ

④ウイルフレド・ベニテス戦

⑤ホセ・ピピノ・クエバス戦

⑥3階級制覇!デビー・ムーア戦

黄金のミドル(中量級)とは?

1980年代のプロボクシングは、ウエルター級からミドル級の中量級のクラスに華のあるスーパースターが勢ぞろい、
その中心選手たちが1980年代を通し、リーグ戦のように対戦し、それぞれがビッグファイトとして世界中から大注目され大いに盛り上がった時代となっていました。
1970年代の人気の中心は、モハメド・アリのいたヘビー級、
そのアリが70年代後半に王座を陥落した以降、アリの王座を継いだラリー・ホームズに人気が無かったこともあり、時代は一気に「黄金のミドル(中量級)」に移行していきました。

その「黄金のミドル」時代を支えたビッグ4と称されるスーパースターが、
■ロベルト・デュラン
■トーマス・ハーンズ
■シュガー・レイ・レナード
■マービン・ハグラー
の4人です。
この4者4様、素晴らしい特徴を持つ4人が合いまみれ、80年代のプロボクシング界を席巻していきました。

ロベルト・デュラン(Roberto Duran)は1951年6月生まれ、パナマ出身。
1968年に16歳でプロデビュー、1972年WBA世界ライト級タイトルを獲得して以来1978年1月まで12回防衛(11KO)、次々と相手をKOする野性的なパンチは「石の拳(Hands of Stone)」と称され、ライト級では怪物的な強さを発揮、
12回めの防衛戦でWBCタイトルを統一、ライト級最強のまま王座を返上しウエルター級に転向、
黄金のミドルの覇権争いに参入し、ビッグファイトを多数展開、
ライト・ウエルター・ジュニアミドル・ミドルの4階級を制覇、通算戦績119戦103勝(70KO)16敗。

統一世界ミドル級タイトルマッチ!!

ロベルト・デュランには、常にレナード第2戦の「ノー・マス!(もう、たくさんだ!)」の試合放棄での敗戦がつきまとっていました。
支持していたパナマ国民や世界中のボクシングファンの期待を裏切り信用を失い、
敗戦後には不甲斐ない試合が続き引退も囁かれていました。
しかし、あきらめなかったデュランは、ホセ・ピピノ・クエバスを4Rで倒しデビ―・ムーアへの挑戦権を獲得、ジュニアミドルの世界タイトルマッチでムーアを8RTKOし3年ぶりに世界王者へ復帰し3階級制覇を達成。
王者復帰第一戦は、ミドル級統一チャンピオンのマービン・ハグラーへの挑戦。

ミドル級歴代最強王者と言われるハグラ-とは、フルラウンド互角の戦い僅差の判定負け、目指した4階級制覇はならなかったが、王者を苦しめた善戦は世界からの評価を再び上げることになりました!

⑦マービン・ハグラー戦

トーマス・ヒットマン・ハーンズ戦!1984.06.15!

マービン・ハグラーとの戦いを僅差の判定で敗れた、WBAジュニアミドル(スーパーウェルター)級チャンピオンのロベルト・デュランの次の試合は、
WBCジュニアミドル(スーパーウェルター)級チャンピオンのトーマス・ハーンズとの王座統一戦。

王座統一戦として組まれた超ビッグファイトは、試合当日、デュランのタイトルがWBAから剥奪されたために、WBC世界ウェルター級タイトルマッチとなる。
※タイトル剥奪の理由はデュランがランキング1位との指名試合を無視したため。
王座統一戦とはならなかったがスーパースター同士の対戦は、ラスベガス・シーザースパレス特設会場に15,000人の観客を集め1984.6/15の夜に開催。

6月は、デュランにとって幸運の月、
タイトル初獲得は1972年6/26、
レナードとの第1戦が1980年6/20、
復活のデビー・ムーア戦が1983年6/16、
そして、自身の誕生日が6/16、ハーンズとの戦いに勝利し最良の誕生日を迎えるはずでしたが・・・・

この試合、デュランもハーンズもKO宣言、ハーンズは具体的に「2回KO」を予告!
初回、対格差で大きく劣勢のデュランはなかなかハーンズに近づけない、28cmのリーチ差を埋めるには中に入り込まないと・・・
デュランにとって危険な距離のまま、1分30秒くらいからハーンズが攻め始め、早くもデュランは顔面にダメージ、残り30秒のところで強烈な右がヒットしデュランは崩れるようにダウン、立ち上がったところからハーンズの猛攻を受け2度目のダウン、立った後に1R終了のゴングだがデュランは帰るコーナーを間違えてしまうほどのダメージ、
2Rも中に入れないデュランにハーンズは容赦なく猛攻、デュランはハーンズの連打に防戦一方、最後はボディへのフェイントでガードが下がったところにハーンズの強烈な右フックを顔面に入れられ、スローモーションのように顔からマットに沈み込んでしまった。

プロデビュー後はじめてのKO負けを喫したデュランは反省の言葉を残したが、
この試合はデュランのミスではなく、ハーンズの強さが際立った試合でした。ハーンズは約2年ぶりのKO勝ち、ウェルターのタイトルを獲得したクエバス戦を彷彿とさせる攻撃力でした!

トーマス・ハーンズ④ロベルト・デュラン戦

デュランのこの後は?

ハーンズ戦では180万ドルのファイトマネーを受け取ったデュランは、
試合5日後に地元パナマで引退を表明。
・・・・が、1年半後にはリングに戻ってきます!

1989年2月には、アイラン・バークレー(1988.6月にハーンズからミドル級王座を奪取!)、

1989年12月には、あのシュガー・レイ・レナードの3度目の対戦、

なかなか引退しません!

次の投稿で・・・

トーマス・ハーンズ編①はコチラから!