BOXING

【黄金のミドル】石の拳(Hands of Stone)ロベルト・デュラン③(Roberto Duran)
WBC世界ウエルター級初防衛戦!
シュガー・レイ・レナード戦Ⅱ 1980.11.25
世紀の再戦!!

ロベルト・デュラン①

黄金のミドル(中量級)とは?

1980年代のプロボクシングは、ウエルター級からミドル級の中量級のクラスに華のあるスーパースターが勢ぞろい、
その中心選手たちが1980年代を通し、リーグ戦のように対戦し、それぞれがビッグファイトとして世界中から大注目され大いに盛り上がった時代となっていました。
1970年代の人気の中心は、モハメド・アリのいたヘビー級、
そのアリが70年代後半に王座を陥落した以降、アリの王座を継いだラリー・ホームズに人気が無かったこともあり、時代は一気に「黄金のミドル(中量級)」に移行していきました。

その「黄金のミドル」時代を支えたビッグ4と称されるスーパースターが、
■ロベルト・デュラン
■トーマス・ハーンズ
■シュガー・レイ・レナード
■マービン・ハグラー
の4人です。
この4者4様、素晴らしい特徴を持つ4人が合いまみれ、80年代のプロボクシング界を席巻していきました。

ロベルト・デュラン(Roberto Duran)は1951年6月生まれ、パナマ出身。
1968年に16歳でプロデビュー、1972年WBA世界ライト級タイトルを獲得して以来1978年1月まで12回防衛(11KO)、次々と相手をKOする野性的なパンチは「石の拳(Hands of Stone)」と称され、ライト級では怪物的な強さを発揮、
12回めの防衛戦でWBCタイトルを統一、ライト級最強のまま王座を返上しウエルター級に転向、
黄金のミドルの覇権争いに参入し、ビッグファイトを多数展開、
ライト・ウエルター・ジュニアミドル・ミドルの4階級を制覇、通算戦績119戦103勝(70KO)16敗。

WBC世界ウエルター級タイトルマッチ 1980年6月20日

ライト級最強と称され、12回防衛後にタイトルを返上したロベルト・デュランは、ウエルター級に転向し8戦8勝でランキング1位に昇り、アメリカ全土が盛り立てるスーパースター、シュガー・レイ・レナードに挑戦、
1980.6.20、終始攻め続け3-0の判定でタイトルを奪取し2階級制覇を達成。
戦前から世界中が注目した一戦は、壮絶な打ち合いで大いに盛り上がり興行的にも大成功、
レナードは、モハメド・アリがケン・ノートン戦で得た額を上回る史上最高額のファイトマネー(800万ドル)を手にしたそう。

ロベルト・デュラン➁レナード戦Ⅰ

夢のカードの再戦決定!

デュランvsレナード、この夢のカードの再戦が、早くも5か月後に実現!
今度は、チャンピオンになったデュランが1,000万ドル、レナードが700万ドルというファイトマネー、いかにこの夢のカードが興行的にも儲かるビッグビジネスであるかがわかります。
もちろん、2人もこの再戦に闘志を燃やし、デュランは「今度はKOで!」、レナードも「全く新しい展開になる!」と再戦だからこその好試合への期待が膨れます。
プロモーターは、ドン・キング、会場はニューオリンズ・スーパードーム。

デュランvsレナード 第2戦(世紀の再戦) 1980.11.25

再戦決定後、レナードはデュランと似たタイプのファイターをスパーリングパートナーに付け、ロープ際で体をかわす練習、ロープに詰まった状態でボディブローを連打する練習を繰り返す。
もちろん、前戦の作戦失敗を素直に反省。

デュランがレナードに勝利しタイトルを奪取すると母国パナマは大盛り上がり、帰国は大統領専用機で、6/20は「デュランの日」という祝日に制定、一気に国民的英雄にのし上がります。パナマやニューヨークでパーティ三昧の日々、王様の生活を過ごしたようです。

そして、この2人の世紀の再戦「Stone vs Sugar」のゴングが11/25の午後9時に・・・、
第1R、前回の誤りを理解し、修正したレナードは、軽快に動く。デュランも前に出てパンチを当てるが有効打とはならない。
第2Rも足を使うレナード、中盤に獰猛に襲いかかったデュランだったがここでも有効打はなし、ラウンド終了直前にはレナードが数発強打を当てる。
第3R、開始後にアリ・シャッフルを披露、「今回はこの足で戦いますよ!」とのアピール、デュランが近づくとスルっと逃げられる、強打を出しながらロープに詰めようとするとクリンチされる、そんな状況が繰り返されるが、後半デュランが詰めロープ際で打ち合い、レナードもパンチを出しながら逃れる。
第4R、5R、6Rも右に左に、軽快にステップを繰り返すレナード、前に出るがスピードについていけず空転するデュラン、
そして、第7Rのレナードは、ガードを下げながらデュランを挑発、「おいで。おいで」と手をこまねいて、からかうポーズを連発、デュランは苦笑いのような、照れ笑いのような表情、

ついに、第8R、終了間際の2分40秒過ぎ、デュランは両手を下げ、レナードに背を向け、自分のコーナーに・・・レフェリーに戦うよう促されても「ノー・マス!(もう、たくさんだっ!!)」と試合放棄のジェスチャー。

レナードは飛び上がって喜ぶが、観客からはブーイング。
パナマの英雄が試合を途中で放棄してしまった。控室に戻ったデュランは引退表明・・・・
この引退表明は、3日後に撤回、「レナードに復讐する!」と宣言して。

そして、レナードとの第3戦は、9年後に実現されます。
デュランは、「黄金のミドル」の主人公として、この後も数々のビッグファイトを戦うことになります。

この試合の後のデュランの世界戦は、
1982.1.30、ウイルフレッド・ベニテスが持つ、WBCジュニアミドル級(スーパー・ウエルター級)タイトルへの挑戦です。
次回の投稿で・・・

こちらもどうぞ!
トーマス・ハーンズ編①