BOXING

【黄金のミドル】トーマス・ハーンズ⑤(Thomas Hearns)
ミドル級タイトル挑戦!1985.4.15
マーベラス・マービン・ハグラー戦
WBA・WBC・IBF世界ミドル級タイトルマッチ

黄金のミドル(中量級)とは?

「黄金のミドル(中量級)」とは、
1980年代のプロボクシング界で最も人気のあったクラス(ウエルター級~ミドル級)で、
★シュガー・レイ・レナード
★トーマス・ハーンズ
★マービン・ハグラー
★ロベルト・デュラン
の「ビッグ4」と称される華のあるスーパースター4人を中心にビッグファイトが繰り広げられ、大いに盛り上がった時代を言います。

■トーマス・ハーンズ
階級の中でも高い身長と長いリーチを使ったデトロイトスタイルから繰り出されるフリッカージャブとマシンガンのように繰り出されるラッシュから「ヒットマン(殺し屋)」と称され恐れられ、史上初の4階級制覇、さらに史上初の5階級制覇を成し遂げる。

①WBAウエルター級タイトル獲得(ホセ・ピピノ・クエバス戦)

②ウエルター級王座統一戦(シュガー・レイ・レナード戦)

③2階級制覇!WBCジュニアミドル級タイトル獲得(ウイルフレッド・ベニテス戦)

④ロベルト・デュラン戦(WBCジュニアミドル級防衛戦)

⑥世紀の再戦!レナード戦Ⅱ

「石の拳」ロベルト・デュラン戦、2RKO!

ハーンズは、WBCジュニアミドル級王座の2度目の防衛戦を「石の拳」ロベルト・デュランと戦い2RKO勝ち。この試合は当初WBAチャンピオンのデュランとの統一戦を予定していたが、試合当日デュランが王座を剥奪されためにハーンズの防衛戦となっていました。

その3か月後、ランキング3位の挑戦者フレッド・ハッチングスとの3度目の防衛戦も難なく、3R2分56秒TKOで勝利。

この試合後には、11月にジョン・ムガビ、さらには、年明け1月には三原正との対戦を予定(計画)されていましたが・・・
ミドル級のハグラ-との対戦が決まったためにムガビ戦はキャンセル、三原は持病の腰痛のために引退、
両方とも興味深い対戦でしたが成立には至りませんでした。
当時のムガビの戦績は25戦25勝25KO(うち3R以内のKOが17戦)という無双状態、
打たれ弱さも持つハーンズと戦っていたら・・・・

そして・・・、夢の対決、マーベラス・マービン・ハグラーへの挑戦は、1985年4月15日、ラスベガスで開催されることになります。

夢の対決!マービン・ハグラーへの挑戦!【The Fight】

「THE FIGHT」この夢の対決のプロモーターはボブ・アラム氏、
会場はラスベガス・シーザースパレスの特設会場、チケットは数か月前に完売、他に放映権料等々の莫大なビッグマネーが集まる「20世紀最後のビッグファイト!」と称されるビッグイベント、2人のファイトマネーは収益による上乗せ分も含めると600万ドル超になると・・・・、
戦前の予想では、
身長・リーチの不利を補うため接近して戦うであろうハグラーのKO勝ち、
または、
ヒット・アンド・アウェイからヒットマンに変身して戦うハーンズが足を使っての判定勝利、
どちらが勝つか予測不能、緊迫した試合が期待されます。

ハグラ-が勝てばミドル級11度目の防衛、ハーンズが勝てば3階級制覇、

「The Fight(世紀の一戦)」は初回から殺し合いの様相

「20世紀最後のビッグファイト」とまで形容された、
ミドル級統一チャンピオンのマーベラス・マービン・ハグラーと挑戦者トーマス・ハーンズとの一戦は、
1985年4月15日、ラスベガス・シーザースパレスに15,000人の観客を集め開催、
その試合内容は、
第1ラウンド開始早々、スロースターターのはずのハグラーがゴング直後からいきなり右フックで襲いかかり、その後もサウスポースタイルからのフルスイングのパンチを振り回す。
対し、足を使うと思われていたハーンズが意外にも真っ向から応じる、ハーンズも回転の速い全力のパンチをハグラーに打ち込む。
試合前からお互いに早い回でのKOを宣言、その宣言通りに2人ともにすぐにでも一発で倒してやる!と気合の入ったパンチの打ち合い、まさに、殺し合い!と言っていいほどの展開、
探り合いや軽いジャブでの様子見・・・のような退屈な時間は全く無し、休む間もなく続くパンチの応酬は観ている人すべてが大興奮したはず!
第1ラウンドの終盤、ハグラーの右フックがハーンズのアゴに直撃し、ハーンズがグラつく瞬間もあったがゴングに救われる。
実は、このラウンドでハーンズは右こぶしの薬指と小指を骨折、そのせいか2ラウンド以降は右の強打は減ってしまっています。
ハグラーも額から流血、激しい第1ラウンドの3分間でした。
ジャッジは、2-1でハグラー。

第2ラウンドも、ハグラーが長い距離を飛び込んで打つパンチから始まる、ハーンズの左ジャブはことごとくハグラーのガードで抑えられてしまいなかなかペースを握れない、
ハグラ-は途中から右構えにスイッチしてじりじりとハーンズを追いかける、
ハーンズは大きな左フックを空振りにしてしまうとハグラーの左右を喰らう、さらに再度サウスポースタイルにスイッチしたハグラーのパンチを当てられてしまう。ラウンド終盤足を止めて打ち合うシーンもハグラー優勢、ロープに詰められ強打を何発も浴びるがゴングまで何とか持ちこたえる。
2ラウンドも2-1でハグラー。

第3ラウンド、ハーンズのワンツーからスタート、力強いワンツーだったが、ハグラーのガードでブロック、長い左で距離を取ろうとするハーンズのパンチを弾き飛ばしながらじわじわ追うハグラー、
その後、ハーンズがコーナーに追い詰められ脱出した時にレフリーが一度試合を止め、ハグラーの額の傷(1Rに切ったところ)をチェック、しかし、出血の割に傷は浅いとの判断からかすぐに試合再開、
そして・・・、
3ラウンド2分を経過する直前、ハグラーの右フックがハーンズのテンプルに直撃させると、ハーンズの体は横向きになり大きくバランスを崩すことに・・・それを早足で追ったハグラーは大きな右をハーンズのアゴに的中、ついにリングに崩れ落ち、あお向けでカウントを聞いていたハーンズはカウント9で立ち上がるが、レフリーによって試合はストップ、3ラウンド2分1秒、「The Fight(世紀の一戦)」は、チャンピオンのTKO勝ちで11度目の防衛となりました。

日本語放送版。

お互いに、相手を倒さなければ自分が倒される、生か死か、プライドをかけた打ち合いでした。
1ラウンド、ハーンズの距離を取らず接近して打ち合った姿も感動ものでした。

最終的なファイトマネーは、ハグラーが900万ドル、ハーンズが800万ドルになったようです。

ハーンズの3階級制覇はならず。
黄金のミドル・ビッグ4の最強と称されるハグラーの強さが印象的となったビッグファイトでした。

ハーンズの次のビッグファイトは?

ミドル級タイトル挑戦に敗れたトーマス・ハーンズは、42戦40勝34KO2敗という戦績になりました。

このあと、ハーンズは、WBCライトヘビー級(3階級制覇)、WBCミドル級(4階級制覇)、WBOスーパーミドル級と勝ち進み、5階級制覇を達成、

そして、1989年6月12日、
WBOスーパーミドル級チャンピオンとして、WBA同級チャンピオンのシュガー・レイ・レナードと王座統一戦を戦うことになります!
まだ、ビッグファイトが続きます。

次の投稿で・・・・