BOXING

【黄金のミドル】トーマス・ハーンズ⑥(Thomas Hearns)
スーパーミドル級王座統一戦!1989.6.12
シュガー・レイ・レナード戦
WBO世界スーパーミドル級

黄金のミドル(中量級)とは?

「黄金のミドル(中量級)」とは、
1980年代のプロボクシング界で最も人気のあったクラス(ウエルター級~ミドル級)で、
★シュガー・レイ・レナード
★トーマス・ハーンズ
★マービン・ハグラー
★ロベルト・デュラン
の「ビッグ4」と称される華のあるスーパースター4人を中心にビッグファイトが繰り広げられ、大いに盛り上がった時代を言います。

■トーマス・ハーンズ
階級の中でも高い身長と長いリーチを使ったデトロイトスタイルから繰り出されるフリッカージャブとマシンガンのように繰り出されるラッシュから「ヒットマン(殺し屋)」と称され恐れられ、史上初の4階級制覇、さらに史上初の5階級制覇を成し遂げる。

①WBAウエルター級タイトル獲得(ホセ・ピピノ・クエバス戦)

②ウエルター級王座統一戦(シュガー・レイ・レナード戦)

③2階級制覇!WBCジュニアミドル級タイトル獲得(ウイルフレッド・ベニテス戦)

④ロベルト・デュラン戦(WBCジュニアミドル級防衛戦)

⑤マービン・ハグラー戦

マービン・ハグラーへの挑戦失敗!

ハーンズは、 1985年4月15日にミドル級統一王座に挑戦しましたが、ハグラーに完敗。
3階級制覇の夢は無残にも散りました。

3階級制覇!4階級制覇!!

ハグラ-戦敗戦後の戦績は、

1986.3.10 復帰戦、NABF北米ミドル級タイトルに挑戦、1RKO勝ち。

1986.6.23 WBCジュニアミドル級防衛戦
8RTKO勝ち マーク・メダル戦
※4度目の防衛に成功し、のちに返上

1986.10.17 NABF北米ミドル級防衛戦
12R判定勝ち ダグ・デウィット戦
※初防衛成功、のちに返上

1987.3.7 WBC世界ライトヘビー級タイトル挑戦
デニス・アンドリュース戦、10RTKO勝ちし、3階級制覇!
※タイトルは、のちに返上

1987.10.29 WBC世界ミドル級王座決定戦
フアン・ドミンゴ・ロルダン戦、
※4RKOでタイトル獲得!4階級制覇!!

1988.6.6 WBC世界ミドル級防衛戦
※アイラン・バークレーに3RTKO負けで王座陥落

5階級制覇!!WBO世界スーパーミドル級

ハーンズは、1988.11.4 WBO世界スーパーミドル級の初代王座決定戦で、
NABF北米スーパーミドル級のチャンピオンであるジェームズ・キンチェンを相手に戦います。
結果、僅差の判定で5階級制覇を達成します。
※12R判定勝ち、2-0(115-112、114-114、114-112)

実は、1988年に設立されたWBO(世界ボクシング機構)は、王者乱立を良しとしないJBC(日本ボクシングコミッショナー)の方針により日本では世界王座認定団体とは認められていませんでした。
そのために日本国内の報道でこの試合は、NABF北米スーパーミドル級タイトルマッチであり、ハーンズの5階級制覇という扱いはありませんでした。
この試合の3日後の11/7に、シュガー・レイ・レナードが、WBC新設のスーパーミドル級王座を獲得し、 
レナードが「史上初の5階級制覇!」との報道となっていました。
しかしその後、JBCでも「WBO」を世界王座認定団体として容認することになり、ハーンズが「史上初の5階級制覇」の達成者となりました。少しややこしいですね。

そして、
11/4にWBO世界スーパーミドル級チャンピオンとなった、トーマス・ハーンズと、
11/7にWBC世界スーパーミドル級チャンピオンとなった、シュガー・レイ・レナード、
が翌年6月の次の試合で王座統一戦として激突することになります。
2人の対戦は、1981年9月16日以来の再戦です!

世紀の再戦!【The WAR】

約8年ぶりの再戦は、レナードに1,300万ドル、ハーンズに1,100万ドルが保障されたスーパーファイト、
前回の世紀の一戦【The Showdown】は、前半リードのWBA王者のハーンズを終盤に劇的TKOでWBC王者のレナードが勝利するウエルター級の統一戦、キャッチフレーズ通りの歴史的な名勝負でした。
以降、中量級のスーパースターとして君臨する2人の対戦は、
世紀の再戦「The WAR(戦争)」と称され、会場も全戦と同じラスベガス・シーザースパレス、
戦前の予想は、レナードの圧勝の声が多数、掛け率も3対1でレナード有利、
というのも、ハーンズの直近の試合結果、ミドル級の防衛戦では4RKOで王座陥落、スーパーミドルの王座獲得も僅差の判定勝ちから、ハーンズ限界説まで飛び交っていたせいでもあるのでしょう。

8年前の試合に勝ったレナードはスーパースターの座に、
敗れたハーンズには、常にレナードの影がつきまとうように・・・
ベニテスに勝って2階級制覇を達成しても、デュランをわずか2Rで倒しても、ハーンズは「レナードに次ぐナンバー2」との評価、

さらに、試合の2日前には思わぬ事件が発生、ハーンズの弟がガールフレンドを射殺・・・、
プロモーターのボブ・アラムは試合延期を提案したが、ハーンズが断り、試合は予定通り敢行されることに。
この試合はハーンズにとっては8年前のリターンマッチ、命がけの戦いになるはずである。

世紀の再戦「The WAR(戦争)」の結果は?

世紀の再戦「The WAR(戦争)」は、1989年6月12日、ラスベガス・シーザースパレスに15,338人の観客を集め開催、
その試合内容は、
第1R・第2Rは、長い左を活かしたハーンズがレナードを近寄せない、ハーンズ優勢、

第3Rは、緊迫した中パンチを交換する2人、一瞬早くハーンズのパンチがヒットし、ロープ際に追いさらに右を強振、クリーンヒットには見えなかったが後頭部付近にあたり、レナードが前のめりにダウン、ハーンズはKO狙いの連打で攻めるがレナードがピンチをしのぐ、

第4Rは、それぞれのパンチでそれぞれの相手をのけぞらせ、ジャッジも別れる、

第5Rは、攻めていたハーンズがレナードの強い左フックをモロに喰らい大きくぐらつき、そこからレナードの猛攻、ハーンズはロープを背に追い詰められ防戦、ダウンこそなかったがジャッジ3人とも10-8、

中盤第6R~10R、両者譲らず一進一退の戦い、お互いに攻め続けます、

第11R、ハーンズの右がレナードのアゴに直撃、そして続けて2発のパンチで、レナードはこの試合2度目のダウン、このラウンドもハーンズはKOを狙うが決められず、

最終12Rは、ゴング直後からレナードを追い立てるハーンズだったが、レナードの右を喰らうと形勢逆転、ロープにもたれながらレナードの速い連打を打たれ続けてしまう、グラつくこともあったがハーンズは執念で最後まで倒れることなく踏みとどまりました。

ジャッジ3人の判定は、

三者三様のドロー。
観衆からはブーイングの嵐、2度のダウンを奪ったハーンズの勝利を確信していたのでしょう。

あれから30年たった今でも判定の賛否は分かれるようですが、ハーンズ勝利の声の方が多いような気がします。
試合直後の共同記者会見で、レナードは、
「トミー・ハーンズは本当のチャンピオンであることを今夜、証明した。判定はどうしようもないこと。ジャッジに任せるしかないじゃないか・・・。」と語ります。
その賛辞ハーンズは、
「判定はジャッジにまかせる。ドローの判定を誇りに思っている。レイのことは長いこと頭の中から離れなかったが、もう忘れられそうだ・・・」
8年間の鬱憤が晴れ、満足感が漂っていたそうです。・・・泣けてきます。

ドローに終わり、
ハーンズは、WBO世界スーパーミドル級のタイトル初防衛、
戦績は、50戦46勝(38KO)3敗1分け、となりました。

試合翌月のテレビ番組で、レナードは、
「トミー、いろいろな議論があるようだから、もう一度やろうじゃないか。この間ラスベガスで戦った男はオレじゃなかった、決着をつけようじゃないか?」
と、ハーンズに呼び掛け、
レナードvsハーンズⅢの期待が膨らみましたが、再戦は実現することはありませんでした。

その後のトーマス・ハーンズ

レナードとの世紀の再戦の後のハーンズは、
黄金のミドルのビッグ4と戦うことはなく、
WBOのスーパーミドル級の防衛戦、WBAライトヘビー級タイトルの獲得(初防衛失敗)と、世界タイトルマッチを3試合戦った後、
NABF北米タイトル、WBU・IBOなどのマイナー王座などを転戦し、
2006年2月4日の試合を最後に引退(47歳)、

通算戦績は、67戦61勝48KO5敗1分け、となりました。

ハーンズ編の最後に

「黄金のミドル(中量級)」トーマス・ハーンズ編は今回で終了です。4人のうち一番好きなハーンズを最初に投稿いたしました。
次は、「石の拳(Hands of Stone)」ロベルト・デュラン編を予定しています。

また、選手の戦績などを調べるために、【ボクシング選手名鑑】様サイト(下記からリンクください)を参考にさせて頂きました。
大変ありがとうございました。

https://boxinglib.com/boxingmeikan/archive/225/0