BOXING

【黄金のミドル】トーマス・ハーンズ②(Thomas Hearns)
ウエルター級王座統一戦!1981.09.16
シュガー・レイ・レナード戦
WBC世界ウエルター級

【黄金のミドル】トーマス・ハーンズ①(Thomas Hearns)

黄金のミドル(中量級)とは?

1980年代のプロボクシングは、ウエルター級からミドル級の中量級のクラスに華のあるスーパースターが勢ぞろい、
その中心選手たちが1980年代を通し、リーグ戦のように対戦し、それぞれがビッグファイトとして世界中から大注目され大いに盛り上がった時代となっていました。
1970年代の人気の中心は、モハメド・アリのいたヘビー級、
そのアリが70年代後半に王座を陥落した以降、アリの王座を継いだラリー・ホームズに人気が無かったこともあり、時代は一気に「黄金のミドル(中量級)」に移行していきました。

その「黄金のミドル」時代を支えたビッグ4と称されるスーパースターが、次の4人です。
4人が合いまみれ80年代のプロボクシング界を席巻していきました。

■シュガー・レイ・レナード
1976年のモントリオール・オリンピックのライトウエルター級の金メダリスト、「スーパーエキスプレス」と称されたフットワークと回転力の早い連打のスマートなファイトスタイルにプラスして明朗快活なキャラクターで大人気、プロのデビュー戦から全米でTV中継された超スーパースター、5階級制覇。

■トーマス・ハーンズ
階級の中でも高い身長と長いリーチを使ったデトロイトスタイルから繰り出されるフリッカージャブとマシンガンのように繰り出されるラッシュから「ヒットマン(殺し屋)」と称され恐れられ、史上初の4階級制覇、さらに史上初の5階級制覇を成し遂げる。

■マーベラス・マービン・ハグラー
1980年から87年まで、統一世界ミドル級王者として君臨し12回連続防衛を果たす、あらゆるテクニックと強打、試合運びの巧さ、強靭なメンタルを備え、「ミスター・パーフェクト」と称された、ビッグ4の中で唯一ミドル級で戦い続けた。最後の試合、シュガー・レイ・レナード戦は僅差の判定、ハグラー勝利の声も・・・

■ロベルト・デュラン
石の拳(Hands of Stones)と言われた野性的な強打が象徴的、1972年21才でライト級のタイトルを獲得し10連続KOを含む12回防衛、1978年の12度目の防衛戦はライト級の統一戦でもあり勝利したのち返上、階級を上げ黄金のミドル時代の主人公へ、1980年にレナードのウエルター級タイトルに挑戦し王座獲得。

世界ウエルター級王座統一戦★1981年9月16日

1981年9月16日に行われた世界ウエルター級王座統一戦は、
「THE SHOWDOWN(世紀の一戦)」と称され、ラスベガスのシーザースパレス特設会場に2万5千人を集め開催、
黄金のミドルの主人公であるビッグ4の、
トーマス・ハーンズとシュガー・レイ・レナードが戦う超豪華カード・・・、まがいのない「世紀の一戦」は世界中から大注目されました。

WBA王者のハーンズは、前年1980年8月に絶対王者と称されていた「ホセ・ピピノ・クエバス」を2RTKOで下しタイトル獲得、その後の3戦をすべてKOで防衛中、

対するWBC王者のレナードは、1979年11月30日、ウイルフレッド・ベニテスを15RTKOで下しタイトルを獲得し1980年3月に防衛、
しかし、同年6月の2度目の防衛戦で、12回防衛したライト級タイトルを返上し階級を上げてきた「石の拳・ロベルト・デュラン」の挑戦を受け判定負けし王座陥落。(1980年6月20日、「World War(世界大戦)」)
そして、同年11月のデュランとの再戦でタイトルを奪い返し、さらに、1981年6月には、アユブ・カルレの持つジュニア・ミドル級(今でいうスーパー・ウエルター)のタイトルに挑戦し王座を獲得し2階級制覇を達成、

プロデビュー以来、いつ戦うことになるのかと目されていた2人がお互いにチャンピオンとなり、正真正銘のライバルとなって、ついに雌雄を決する時を迎えます。
試合前の舌戦も熱を帯び、大いに盛り上がり、レナード有利だった試合2ヶ月前の賭け率が徐々に変化し、試合直前にはイーブンにまでなっていきます。
レナードの芸術的なKOに対し、ハーンズの度肝を抜くようなKOと無敗という実績がファンを引き付けたのでしょうか、ハーンズのパワーへの期待度は高まっていきます。

THE SHOWDOWN(世紀の一戦)

YouTubeより、日本でのテレビ中継(試合前のみ)

さあ、ここまで32戦無敗30KOのトーマス・ハーンズと31戦30勝1敗21KOのシュガー・レイ・レナードの戦い、人気は圧倒的にレナード、無敗の実績と9割3分のKO率のハーンズ、
「人気のレナードvs実力のハーンズ」と称され、当時の日本プロ野球の「人気のセvs実力のパ」と同じような言われ方、個人的にはもちろんハーンズ派の私です。

試合開始前のリング上では、ハーンズは鋭い視線を突き刺し、レナードは視線を避け続けます。
そして、開始のゴングが鳴り、序盤の主導権はハーンズ、快調に攻めます。
レナードは3回に反撃開始、タイミングのよいカウンターをハーンズのアゴにヒット、さらにワンツーを打ち込みます。しかし、ハーンズもすぐに強打を打ち返し、激しい打ち合いへとなっていきます。4回5回とハーンズがレナードに襲いかかり攻勢。
勢いに乗った6回も・・・というところで今度はレナードが左フックをアゴに打ち抜きハーンズがグラリ、続く7回にかけてもピンチから逃れることに専念するハーンズにレナードは連打でダメージを与え、7回終了間際の右ストレートでハーンズはまたグラリ・・・
レナードの攻撃力を意識したハーンズは、8回から足を使った戦いに作戦変更、大きなリーチ差のためレナードのパンチは届かずに激減、ハーンズのジャブが当たるように・・・9・10回の流れはハーンズに、
11回にはヒットマン・ハーンズの右ストレートがレナードに炸裂、そして連打、レナードの左目は腫れあがり、パンチはほとんど打てない状態となり、12回もハーンズが一方的に支配。

しかし、13回、KOを狙って接近したハーンズのアゴにレナード渾身の左フック!!足に来てしまったハーンズが後退したところにさらに右を叩きこむとハーンズはダウン寸前、コーナーに詰まったところで連打を浴びロープに挟まるようにダウン、グロッキー状態のハーンズ、
14回は勝利を確信したレナードが徐々に追い込み、足を使おうとするハーンズをとらえ大きなパンチを打ち続けます。そして・・・
1分45秒、レフェリーの両手が大きく広げられたところで世紀の一戦は幕切れ、
喜び溢れる勝者に対し、赤コーナーのイスに腰かけうつむき続けるハーンズ。

■参考資料、13回までの採点表です。

ハーンズ世界王座陥落

「THE SHOWDOWN(世紀の一戦)」 の直後から、翌年にも再戦を・・・と囁かれますが、
2人の再戦が実現するのは、約8年後、1989年6月12日、WBA・WBO世界スーパーミドル級王座統一戦となります。

史上初の4階級制覇、さらに、史上初の5階級制覇を成し遂げるトーマス・ハーンズ、
この試合でウエルター級のタイトルを失い、次は上の階級であるジュニアミドル級(今でいうスーパーミドル級)で2階級制覇を狙うことになります。
1982年12月3日、ウイルフレッド・ベニテスの持つ「WBC世界ジュニアミドル級」のタイトルに挑みます。
ウイルフレッド・ベニテスは「黄金のミドル」の主役にはなれませんでしたが、準主役として随所に登場することになっています。

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